ごえん結び日記
北名古屋市の皆様とのご縁も、 ご先祖様のお導き?!
こんにちは!
妙高 杉野澤 旅館田端屋 女将の加藤宏枝です♡
田端屋があります妙高市は、
2011年に、愛知県北名古屋市と姉妹都市になりました。
そうしたご縁で、
お蔭様で田端屋にも、
北名古屋市からたくさんのお客様にお越しいただいてます♪
妙高 杉野澤 旅館田端屋 女将の加藤宏枝です♡
田端屋があります妙高市は、
2011年に、愛知県北名古屋市と姉妹都市になりました。
そうしたご縁で、
お蔭様で田端屋にも、
北名古屋市からたくさんのお客様にお越しいただいてます♪
先日も、北名古屋市から、とっても元気な皆様がいらっしゃいまして、
妙高の山歩きや、朝のラジオ体操、
最近できたばかりの妙高高原体育館での水中ウォーキングなど、
皆様、私よりだいぶ先輩の方たちばかりなのに、
ホントに元気いっぱいで、
私もたくさんの元気をいただきました!
妙高の山歩きや、朝のラジオ体操、
最近できたばかりの妙高高原体育館での水中ウォーキングなど、
皆様、私よりだいぶ先輩の方たちばかりなのに、
ホントに元気いっぱいで、
私もたくさんの元気をいただきました!
ところで最近私、
田端屋加藤家のルーツを辿る旅にはまってまして~♪
前にもブログで書いたのですが、
コチラですよ♪
【田端屋のルーツを探す旅に出ました!】
そのご縁かどうかわからないのですが、
「北名古屋市にも、加藤さんのお屋敷がありますよ!」
と、教えてくださる方がおられまして、
その加藤さんのお屋敷がこちらだそうです。
田端屋加藤家のルーツを辿る旅にはまってまして~♪
前にもブログで書いたのですが、
コチラですよ♪
【田端屋のルーツを探す旅に出ました!】
そのご縁かどうかわからないのですが、
「北名古屋市にも、加藤さんのお屋敷がありますよ!」
と、教えてくださる方がおられまして、
その加藤さんのお屋敷がこちらだそうです。
すごい豪邸のようですね!
こちらの加藤邸について、解説をHPからコピペさせて頂いちゃいました。
旧加藤家住宅概要: 加藤家は古くから旧家として名を馳せ、江戸時代には庄屋などの要職を歴任した家柄です。現在の建物は主屋が明治10年(1877)頃、長屋門が明治初期、離れが大正から昭和初期、中門が明治10年(1877)頃、土蔵が明治10年(1877頃)、北高塀が昭和初期に建てられたもので主屋は木造ツシ2階建、切妻、桟瓦葺。長屋門は木造平屋建、切妻、桟瓦葺。離れは木造平屋建、切妻、桟瓦葺、数奇屋風書院造。中門は薬医門、切妻、桟瓦葺、一間一戸。土蔵は土蔵2階建、切妻、桟瓦葺、黒漆喰仕上げ。北高塀は基礎が玉石積、腰壁が縦板張り、上部が白漆喰仕上げ。加藤家住宅は明治時代初期に建てられた地主建築の遺構として貴重な存在で「国土の歴史的景観に寄与しているもの」との理由から国登録有形文化財に指定されています。
なのだそうで、
とっても大きな庄屋さんだったようですね!
私たちの田端屋も、歴史だったら自信がありますが、
さすがにこちらの加藤さんにはかないませんね~♪
でも、もしかしたら、
こちら北名古屋の加藤さんと、私ども田端屋の加藤、
ご先祖様で繋がっていたら嬉しいのですけれど、
どうなのかな?
実は以前、田端屋のルーツを調べた時に、
歴史に詳しい方から、
「田端屋の加藤さんも、愛知県の方がルーツなんじゃないですかね~」
と言われた事がありまして、
その方がおっしゃるには、
田端屋加藤のルーツが、
高田ご城下の前は直江津の福島城下、そして、その前が不明、
という事は、
上杉のお殿様が、国替えで春日山を離れて会津に行かれた後に入ってこられた、
秀吉さんか、家康さんの、
家臣だった大名さんについてこられた方だった可能性があります!
だそうで、
となると、秀吉さんや家康さんは、愛知県出身なので、
そちらからの可能性が高い、という事なのだそうです。
確かに、有名な加藤清正さんも、あちらご出身ですもんね♪
そうなると、もしかしたら、
私たち田端屋加藤のご先祖様は、
本当に北名古屋市に繋がっているのかもしれませんね~♪
本当にそうなら、とっても嬉しいですね♡
誰かわかる方いないかしら?
さすがに、そこまではわかりませんよね~
でも、もしかしたら!
ですので、
田端屋のルーツ情報、引き続き募集中です~♪
なんでも良いので、
何かございましたら、情報提供お願いしますね!
宜しくお願いします!
田端屋宿泊情報です!
★妙高杉野澤 旅館田端屋 ご宿泊のご案内はこちらです。
★妙高杉野澤 旅館田端屋 空室状況のご案内はこちらです。
好評の妙高高原グリーンシーズン、7月は前半が、8月でしたら、4~6日はまだ余裕があります。 お早めにご予約くださいね~♪
申し訳ございません。7月後半から8月いっぱいは、お蔭様で田端屋はほぼ満室となっております。その間はぜひ、「妙高・黒姫開運女将の会」の開運仲間、キョウコ女将の、「ロッジ森のなか」おススメですよ~♪
私の実家のすぐ近くなので、夜たまにこっそり遊びに行ってます♪(笑)
★黒姫山麓 ロッジ森のなかのホームページはこちらです。
こちらの加藤邸について、解説をHPからコピペさせて頂いちゃいました。
旧加藤家住宅概要: 加藤家は古くから旧家として名を馳せ、江戸時代には庄屋などの要職を歴任した家柄です。現在の建物は主屋が明治10年(1877)頃、長屋門が明治初期、離れが大正から昭和初期、中門が明治10年(1877)頃、土蔵が明治10年(1877頃)、北高塀が昭和初期に建てられたもので主屋は木造ツシ2階建、切妻、桟瓦葺。長屋門は木造平屋建、切妻、桟瓦葺。離れは木造平屋建、切妻、桟瓦葺、数奇屋風書院造。中門は薬医門、切妻、桟瓦葺、一間一戸。土蔵は土蔵2階建、切妻、桟瓦葺、黒漆喰仕上げ。北高塀は基礎が玉石積、腰壁が縦板張り、上部が白漆喰仕上げ。加藤家住宅は明治時代初期に建てられた地主建築の遺構として貴重な存在で「国土の歴史的景観に寄与しているもの」との理由から国登録有形文化財に指定されています。
なのだそうで、
とっても大きな庄屋さんだったようですね!
私たちの田端屋も、歴史だったら自信がありますが、
さすがにこちらの加藤さんにはかないませんね~♪
でも、もしかしたら、
こちら北名古屋の加藤さんと、私ども田端屋の加藤、
ご先祖様で繋がっていたら嬉しいのですけれど、
どうなのかな?
実は以前、田端屋のルーツを調べた時に、
歴史に詳しい方から、
「田端屋の加藤さんも、愛知県の方がルーツなんじゃないですかね~」
と言われた事がありまして、
その方がおっしゃるには、
田端屋加藤のルーツが、
高田ご城下の前は直江津の福島城下、そして、その前が不明、
という事は、
上杉のお殿様が、国替えで春日山を離れて会津に行かれた後に入ってこられた、
秀吉さんか、家康さんの、
家臣だった大名さんについてこられた方だった可能性があります!
だそうで、
となると、秀吉さんや家康さんは、愛知県出身なので、
そちらからの可能性が高い、という事なのだそうです。
確かに、有名な加藤清正さんも、あちらご出身ですもんね♪
そうなると、もしかしたら、
私たち田端屋加藤のご先祖様は、
本当に北名古屋市に繋がっているのかもしれませんね~♪
本当にそうなら、とっても嬉しいですね♡
誰かわかる方いないかしら?
さすがに、そこまではわかりませんよね~
でも、もしかしたら!
ですので、
田端屋のルーツ情報、引き続き募集中です~♪
なんでも良いので、
何かございましたら、情報提供お願いしますね!
宜しくお願いします!
田端屋宿泊情報です!
★妙高杉野澤 旅館田端屋 ご宿泊のご案内はこちらです。
★妙高杉野澤 旅館田端屋 空室状況のご案内はこちらです。
好評の妙高高原グリーンシーズン、7月は前半が、8月でしたら、4~6日はまだ余裕があります。 お早めにご予約くださいね~♪
申し訳ございません。7月後半から8月いっぱいは、お蔭様で田端屋はほぼ満室となっております。その間はぜひ、「妙高・黒姫開運女将の会」の開運仲間、キョウコ女将の、「ロッジ森のなか」おススメですよ~♪
私の実家のすぐ近くなので、夜たまにこっそり遊びに行ってます♪(笑)
★黒姫山麓 ロッジ森のなかのホームページはこちらです。
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